察するに「戦友会」などが言論封鎖の役に立っていたというのはあるだろう。あれも一部を除くと軍時代の階級そのまんまの組織だったようだし、大体古兵下士官将校の類いが先に亡くなっていって、二等兵初年兵だった人らが口を開けるようになったんだろう。
あとは勿論家族にも絶対に言えない残虐行為の事もあったのは容易に想像がつく。
そしてこれもまた大きいのだが、皆死んでしまったのに自分だけが生き残ってしまったという自責の念を持っている人が特に若い兵隊におおいのもあるようだ。これも小国民世代と同様考えることがあるのだが、二十歳前後の青春が全員「死」とほぼイコールだったというのは一体どんなだろうというのはどうしても想像がつかない。ついたらおかしいのだろうが。
とはいえ、そんなこととは関係なく、世界を未曾有の恐怖に陥れ、アジア2000万人の命を奪った日本人が外交的にも内政的にもその責任を放棄してよい理由には全くならない。例え米の思惑があろうがそんなものに便乗して復興をとげたという恥の上塗りが許されていい訳がないのは当然の話であるし、積極的に罪と向き合わず、ご都合主義的な未来志向に逃げた責任は日本人にはある。