「赤いケンブリッジ」ーA.チューリングとE.ホブズボーム、そしてH.ノーマン
というのも、ケンブリッジではB.ラッセルやJ.M.ケインズのようにゲイやバイセクシュアルであることは、すでに前世代には問題にされることではなくなったからです。
勿論「公」になれば「刑事犯」になるが、わざわざそれを警察に知らせるような人間はいなかった。
さて、当時のケンブリッジは「赤い」ケンブリッジと呼ばれたように、自然科学分野の研究者及び人文社会の学生たちは、急激に左傾化していました。
大陸欧州の大学生たちが、ハイデガーとその崇拝者たちに象徴されるようにむしろ極右化していたこととは対照的な状況です。
また、当時のケンブリッジはP.ディラックの名に象徴される量子論、そしてWWII以後に「分子生物学」のジャンルとなる生化学と遺伝学の研究の中心であり、同時に科学者の多くが「左翼平和主義」者たちでした。
この環境で同世代のキングスメンであったのが、A.チューリングとE.ホブズボーム、そして留学生だったのがH.ノーマンです。
ノーマンは、「赤いケンブリッジ」の若きリーダーであったJ.コーンフォード(ダーウィンの曾孫)に深い影響を受けます。
3者共、50年代の「赤狩り」+「同性愛」狩りに翻弄されることとなります。