私はネガティヴな感情のやり取りって、人間にとってとても大事なものだと思っています。本当の信頼関係においてはなくてはならないものだとさえ思っている。

クライアントでもネガティヴな感情が生まれると関係を断つことしか出来ない人はとても多い。

でもそれ無しに付き合っていける関係って、そんなに気持ちいい関係って、相手がなんでも自分に同意してくれるとか、少なくとも異論は発しないとか、それ前提でしか人と付き合えないなら、それ、全体主義的な発想ですよ。要は自分の気に入らない人間との関係を無くしたいってやつだから。

気に入らない人を好きになる必要はないのよ。嫌いのままでいい。ただそれでも呉越同舟、宇宙船地球号で、付き合いはやめられないわけじゃないですか。

だから喧嘩しても言い合いしてもいい。だけど関係は続けるしかないんだから、お互いに言いたいことを言っていいということを担保する必要があるし、そのルールが大事になる。それが民主主義だったり立憲主義だったりする訳で、民主主義というのは何かユートピアを表す言葉ではなくて、嫌なやつと同居するためのマニュアル集だよ。

今の与党が批判されているのは(私が彼らを許せないのは)そのマニュアルを勝手に無視しているからで、別に彼らが私と同じ意見になることを期待しているわけではない。

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ネトウヨやインセルがダメなのは、有名な彼らの“半笑い“からも分かるように、彼らは決してネガティヴな感情をお腹の底でちゃんと感じて言葉にするとか、全く出来ないからですよ。一見ネガティヴなものの塊みたいに見えるかもしれないけど、彼ら自身はネガティヴな感情を体験して、例えば真剣に怒って、本気で何かに憤ったり、悲しんだり、絶望したりという感情を体験できず、他者のそれらの気持ちを踏み躙って嘲笑して喜んでいるからダメなの。

ネガティヴな感情自体は、別に全然悪いものではないし(体感的には辛いものかもしれませんが)、むしろそのやり取りの中からこそ、真剣にやり取りすれば、発展性のあるものが生まれることは全然珍しくない。何故ならネガティヴな感情というものは、そこに必ず欲求があって、欲求不満があることのサインだから。現状を打開していく時にその欲求は何よりも大事なエネルギーだから。それがそのまま通らないとしても。

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