生活というのは、基本的に保守である。日々の習慣は安定して円環的な時間を必要とするからだ。毎日の生活すら覚束ないとき、そもそも維持するべき安定がないのだから、まずは自分たちも安定できるような社会をくれよと革新を求めることになる。誰かの革新とは誰かの安定への権利要求であり、すでに安定しているべつの誰かは、安定の拡大を共に求めてより一層の盤石さを実現するように働きかけるほうが有効であると考えている。現行の政治が従来の安定を根扱ぎにするようなことばかりするようなとき、生活の保守性とは政治の革新として表明されるほかない。生活の上では保守的でありつつ、政治の現場では革新を支持するというのはこういうことではないだろうか。このねじれが直観に反するようで、長い間うまくイメージがまとまらなかった。