最近は「友だちを作ろう」と言いふらしてるけれど、べつに友だちを沢山つくる必要はない。無際限な交友関係の拡張も、きっぱりとした切断も、どちらもやり過ぎはよくないというだけで、その時々のコンディションでどちらかの極を強調することはあれどそれは一種の方便である。バランスをとるためにそのときどきで論の重みづけを調整しながら、両極のあいだで塩梅を探るのが大事。どちらかを取るような価値判断はつねにある種の詐術であることを自覚していること。
言葉は嘘をつく道具であり、全面的に信頼するものでもないということが、つねに頭の片隅にある。
道具はその使用がもたらした結果がすべてだから、話者や書き手の意図というのは関係ないんだよな。失言への対応の錯誤はここにある。
それとは別に「そもそもろくに読めていない=受け手側が手渡された道具を使えていない」という問題もあって、読解力のない人たちが引き起こす事故まで結果論で追認してしまうのも違うとは思っている。
道具としての割り切りと、「とはいえもっと皆ちゃんと読もうよ」という期待とは、いつまでもぐるぐるとせめぎ合っている。
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言葉は嘘をつく道具であり、全面的に信頼するものでもないということが、つねに頭の片隅にある。