自分もよく何度も読んだのに誤読したりちゃんと読めたり聞けてないことが多いので思うのだが、「誰か、公人や組織等でない実在の個人を批判する」となった時、まず罵倒が出る人は誤読が怖くないのだろうか……と思う
もちろん「こんなことが起きては、言葉なんて選んでいられない」という場面は往々にしてあるし、強い拒絶の言葉をすぐ取り出せるように普段から練習することは大事なのだが、対個人となるとはたから見ていて「それは……たぶん読み違えているのでは……!?」と思うこともよくある
特にネットでのコミュニケーションは自分も相手も「文章」や「伝えること」のプロじゃない、訓練を受けてないことも多い
あと初手罵倒だと相手は多かれ少なかれ萎縮するから余計エラーが起きやすくなる

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もしあとから誤読に気づいたり、相手が応じて対話した結果相互理解ができたとしても、最初に投げた罵倒は消えないわけで
まぁどんなに丁寧に言葉を尽くそうが誤読含め分かり合えないこともたくさんあるから、罵倒を封じたからって何?って感じであるが、ベストは尽くしたいし私のベストは罵倒じゃないなという感じ

私があまり罵倒を使わないようにしている(その代わり古き悪しきネット仕草がいまだに出てしまうが…)のは、たぶん頼るとその言葉に引きずられて「はいこれダメ、はいあいつダメ、あっち側は敵」ってサクサク切り捨てる快感に酔って、最後はもう後がない、そして豊かさもない、ということになる弱さと愚かさが自身にあると知っている、のもあるので……
※強い拒絶の言葉を使う人=みんなそう、ということではない。言葉を選んでいられない場面はあるし、拒絶の訓練は大事。あと私も絶対使わないわけではなく、使う場面は多々ある。

ただ、よほど逸脱しているわけでもない他者の「批判の仕方、言葉の使い方」について私がガタガタ言う筋合いはないので、結論「誤読はこわいね」という当たり前体操なメッセージしかお伝えしたいことはないんですが……

「誤読」は自分がすることももちろんだけど、相手にさせることも
たまにぎょっとすることが書いてあるけど、よく見たら内輪ノリで、本人はちゃんとした人だった……(ドキドキバクバク)みたいなこともよくある
私はそれが怖いので可能な限りマジレスでいきます

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