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バッドノウハウはたしかに面白いのだけれど、一方でバッドノウハウとしての面白さ(あるソフトウェアの仕様がユーザーとのインタラクションで偶発的に生み出すなにか)を音楽に内在的なものと取り違えると、カテゴリーミステイクが起こってしまって、結局どっちの記述も失敗するのでは、みたいな話ですね

「それはバッドノウハウであって、音楽家が本当にやりたかったこととはずれてるかもよ」みたいな例ってあって、むしろそこを慎重に見ていくことでクリティカルな視点って出てくるんじゃないか、という。

でそのノウハウの「悪さ」の正体を辿っていくと、もしかするとソフトウェアの設計者が持つ文化的なバイアスにいきついたりするのでは? みたいなことをちょっと注釈で言っている

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