最近心身の調子が悪くて、ルーティンをぎりぎりこなすほかは(こなせていないことも多い)まるきりパワーが出ない。
でも、ほんの少しでもゆるむと思うことはあって。それはたとえば森という、人間ごときの言語など敗北してかまわないほんとうに大きないのちの集まりを自分が感じたいことだったり、その中でわたしにいちばん近い場がただの観光地になりかけている悲しさだったり。「後から来た」ニンゲンが「先に居た」森を分解して草木や土として「商用価値」や「安らぎ」を見出すことへの、腹がふつふつとするようだけれどうまく身体の外へ持っていけない(たぶん)怒りもある。
わたしだけ日本人だけじゃなく、産業革命を受け取っ(てしまっ)た世界全体がそうなんだろうけれど、『言葉果つるところ』で読んだような「本来のかかわり」に、どうして戻っていけないんだろう……。