それにフェルディナンドにしてみれば、神々の力を枯渇させ、ローゼマインに人間の魔力を取り戻させるというあの一連の計画は、自分が名捧げをしていたから可能だった……という認識だろうと思う(それは第五部11のプロローグからも窺える)。
彼にとって名捧げは、彼自身が唯一諦めたくないと思った「ローゼマインの命」の最も近くにいられることを意味している。何があっても彼女に拒絶されないという証が名捧げなのではないだろうか。
だから彼が名を捧げたままでいたい、何ならローゼマインからも名を捧げてくれたら良いという旨を発言しているのは、お互いに何があっても拒絶しない、されない関係でいたい、その具体的な証が欲しい、そういう感情の発露なのだと思う。
ハン5の展開を見るに、ローゼマインが彼に名を捧げていなくて良かった、むしろ名を捧げていないことが彼を助けられる余地を生んでいるのだから、彼の認識は正直これはこれで非常なバイアスというか、彼の世界や他者への不信頼に基づいた考えだよなあ、なんて思うのだけれど、フェルディナンドがそれだけローゼマインに必死になっているのが、やはり愛おしいなあと思うのであった。