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エスティニアンを助けたいと思うアルフィノとヒカセン、その後ろには確実に「大切な人を助けたい」と思って死んでいったイゼルとオルシュファンがいて、そうじゃない、私だって貴方達を助けたかった、生きることを諦めさせたくなかった、って気持ちがアルフィノの中でぐるぐるする感じがある、あの雪の家のシーンが本当に良かった。

エスティニアンのために死ぬんじゃなくて、エスティニアンと共に生きたいと思ったアルフィノなんだろうなあって。その決意が未来のアルフィノの、マキシマやガイウスとの行動に繋がっている感じがする。
エスティニアンも、「殺してくれ」って言葉を彼とヒカセンに拒まれたことの意味を、ちゃんと分かって生きている感じがして、あ〜本当に蒼天は良いなあ……。

他者を助ける、生かす、ということは、その人が生を諦めかけている時に、その考えを否定するってことでもあるんだよな、当たり前だけど。

アルフィノとヒカセンの望みがエスティニアンの「殺してくれ」と真っ向から対立して、そしてエスティニアンの思いをリジェクトして生かすっていう……。

上手く言えないなあ。オルシュファンは自分の行動がヒカセンの心を深く傷付けてしまうとしても、それでも助けたかった。アルフィノはエスティニアンの最期の願いを否定してでも彼を助けたかったんだよな。何かそういうことを考えている。

「生きることを諦めさせたくない」って結構独特の感情。オルシュファンもイゼルも生を諦めたんだよなある意味では、と。ヒカセンや仲間の生のために自分の生を投げ出した。その選択の先に光明があると信じた。

でもそれじゃ嫌なんだよねアルフィノもヒカセンも……。そういう選択について、真に仕方がなかったと思えなくて、だからエスティニアンを助けるんだよな〜……。

真に仕方がなかったとは思っていない、んだな、うん。そう、だからエスティニアンを助けたいんだよな。だからオルシュファンの死やイゼルの死を見過ごしたことというのは、ヒカセンにとってもアルフィノにとっても、自分達の態度として無謬ではあり得ないのではないかと思った。やはりどこか、「自分はあの人を死なせてしまった」感があるのだろうと。

友の死を看過してしまうのは、やっぱり辛いことだし、どこか罪悪感を伴うこと、してはならないことなんだよね。それが友の選択なのだとしても、止めなくてはならなかったこと、自分が「止める」ことに全力を尽くすべきだったことなんだ。

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