10年以上昔の話だがインドに1ヶ月ほど滞在し、そのうち3週間をインド東部はシャンティニケタンにあるサンタル語族の村に通って過ごした。サンタル語族は少数語族で独自の文化を今に残して生きている。土壁で出来た藁葺きの家が建ち並ぶ、電気もガスも水道もないその村で体験した様々な出来事について、過去に幾度かトーク・イベント等で話してきたが、ハイライトとなるのはどうしても、滞在初期に遭遇した食や排泄に纏わる諸々の文化的相違についてのエピソードである。これを食べるのですか?これを飲むのですか?ここで、それを、するのですか?所変われば何から何まで暮らしは違う。ところで「アバター」を2作続けて観たが、ナヴィ族の排泄を描けとは言わずとも、彼らの食文化も遂にわからず、自然との卓越した共感能力ばかりが繰り返し描かれるのは流石に妙だと感じる。え!?これをここで食うんすか!?と言ったシーンひとつなく、無闇に理想化・美化・神秘化された先住民の暮らしは、それはそれで文化を収奪してきた側の上から目線による表現なのでは?と思ってしまう。「第9地区」との比較論の昔から、ずっと言われてきた事とは思いつつ、改めて感じたので書く。