終盤、フォスフォフィライトが
「自分は『どこから』間違えたのか」
「一体『どうすれば』よかったのか」
と、己に疑問を抱き、思考の中で選択の分岐を一つ前、また一つ前……と遡った先で浮かび上がってくる「はじめから存在しない方が良かったかも」の苦しさは結構たまらないものがあった。
つらいけれど、つらければつらいほどに。
こういう「じゃあ結局どうすれば良かったんですか」に対するようなユークレースの言葉
「長い時間をかければ難しい問題も乗り越えられる」
「皆が満足する答えが見つかるはず」など、これらが口にされたのにも圧倒的な空虚さが滲み出ている。
結局、そんなものは(少なくとも現時点での作中には)無かった、と片される悦楽。
長い時間をかけても皆が満足する答えなど見つからなかった、という結果がある。
もちろん、それが作品の中で最終的にどう扱われるのかはまだ分からない。
過去に作者、市川春子氏のインタビュー内
https://konomanga.jp/interview/8866-2
でも語られた
「永遠に復活の可能性がある状態はつらそう」
「死なないので、諦めることができない」
要素が本編でも相当深い味わいになっている……
例えば、0.0001%程度の可能性を前にして「これは無謀だ」と思っても、挑戦をしなければ「やらなかったじゃん」と周囲に容赦なく責められる残酷さとか。
そこで無謀だと判断して退ける理性よりも、とにかく実行しろという暗黙の圧力みたいなもの(本人の意志よりも強い)が世界の側にあって、それなのに挑戦したことで著しく傷つけば、今度は「無謀なことは分かっていたでしょ」とまた責められる理不尽。
そういうものの描写があまりにも巧みで、感心する。
(URLがうまく添付できなかったので再投稿しました)
#宝石の国 #漫画