来年で原著の出版から50年を迎える作品、パトリシア・A・マキリップの《The Forgotten Beasts of Eld》を読んだ。

ハヤカワ文庫FTより発刊された日本語訳《妖女サイベルの呼び声》が絶版となっていたので、英語版を電子で。
タイトルは安直に訳すると、「エルドの忘れられた獣たち」……に、なるだろうか。その通り、作中にはとても魅力的な、不思議な魔力と伝説を背景に持った賢い幻獣たちが登場するのだった。

第一回世界幻想文学大賞の、大賞受賞作。

山奥で魔術の研鑽をしながら暮らしていたサイベルは、複雑な事情を抱える赤子を託された、とても強い力を持つ魔術師だった。
曾祖父ヒールド、祖父ミク、そして父オガムから、血や知識、蔵書、不思議な幻獣たちを受け継ぐ者。彼女は彼らの「名を掌握する」ことで、思念により存在を縛っている。
そういう魔法を使える。

ある日、伝説の鳥〈ライラレン〉を召喚しようと世界に呼び声を投げかけていた最中、サイベルの邪魔をするものがあった。
エルドウォルド王国内のサール領から来た、コーレンという騎士の若者。彼は腕に抱えた赤子(タムローン)がサイベルの遠縁なのだと告げ、彼を育ててはくれないだろうか、と交渉する……。

フォロー

エルド山の奥に住むサイベルが用いる魔法(call) あるいは呪文というもの全般の性質について 

「魔法」にも種類がある。
けれど、元となる理念は「何らかの方法で『世界』に働きかけるもの」と整理してみれば、呼ぶ側の存在と答える側の存在とが確かに根本に横たわっている、と感じる。

例えば、雨を降らせたい魔術師が呪文を発したり、術を発動したりする。

世界の方が喜んでも嫌々であっても、「応答」さえすれば雨は降る。
それに値しないと判断されるか、術者の意思が届かなければ、降らない。

雨を降らすのは世界であり、魔術師ではない、ということ。

魔法を使う側が術を仕掛けた結果、実際に何かが起こったとするなら、それは魔術師の要請(call)に対して世界が応答(answer)したことの証左になるのだなぁ。
ゆえに魔法は「私の声に応えるものはあるか」と、世界に対して問う試みなのだものね。
命じるようにも、懇願するようにも。

たとえ発されたその「声」が、山を動かしたり、川をせき止めたりすることが不可能であったとしても。
誰かひとりでもそれに耳を傾け、響きに心を砕く存在がいたとするならば、魔法は働いたということになるんだろう。
呼ぶ者がいて、答えを返すものがいる、図式の中に。

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