対して小説の方はというと、先輩が結果的に四畳半の自室に引き篭もるのは一緒なんだけれど、一度福猫飯店に所属して、小津との縁を結んだ状態で。最初から孤独だった訳ではなく、無駄ばかりだと唾を吐いた日々を経験してきた前提があるのよね。
その上で、二ヶ月間数多の四畳半を渡り歩き、完全なる孤独を経験し、自分が過ごした小津や明石さんとの日々を改めて捉え直して「ああ、結局私はあれが楽しかったんだ」と納得がいって。そして結局自分はどういった形でも同じ人生を送るんだと気づいて良い意味で諦めがついたことで腑に落ちたって感じだから、彼の中で滅茶苦茶感動的って訳ではなかったんだと思う。きっと。