昨夜、半ば眠りながらつらつらと以下のようなことを考えていた。
1)SNSは「メディア」か。メディアの必要条件はなにか?
↓
・一次情報か否か
・一次情報である場合に、伝え手に客観性が担保されているか
・情報に間違いがあった場合に修正が可能か
2)SNSは「平等」を実現手段になるか?
↓
・1)の定義からすると、おそらく「自由状態」ではそうはならない
・しかし、「管理」もまた平等を実現することはできない
*結局「自然」というものを徹底的多層的に考察していく必要がある。
年末年始は子どもがいるので、あまり根を詰めた読書はできないなあと気軽に手にした『ガリレオ・ガリレイの生涯他二篇』(ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ、田中一郎訳、岩波文庫)を読み始めた。
いろいろ引っかかったことが多いのだけれど、ガリレオの自然観と近代人の自然観の本質的な違いが決定的だなあと。それはアリストテレスが近代人に正しく理解されない理由とも繋がっているように思えてならない。