内心の自由、信教の自由、といったことが理解できていないとも言える。そしてそもそも「すでに差別がある」状況において、該当の属性を持つ者は内心・信教を他者に明かすことなどできやしない。にもかかわらず「自らの内心・信教を明かさなければ差別に対する批判ができない」というのであれば、それはどん詰まりでしかない。カミングアウトしなければ批判ができず、カミングアウトすれば存在それ自体を危険とみなされ差別される、あるいは批判そのものがカミングアウトと勝手に推測され得る、そういう状況でなにができるというのだろうか。
ふだん「LGBTはいないんじゃなくて、それをあなたに明かせてないだけ(明かす義務もないのだから聞き出すことはしちゃダメ)」というようなことを言っているのだから、それをセクシュアルマイノリティのみならずさまざまな属性にも適用して考えなくてはならない。