隆祥館・二村さんは構造の問題である話のなかにエモさを入り込ませて、結局そこに話を終着させがちなので、正直やめてほしいと思っている。今回の話も、多くの者は二村さんの「パニック障害=人とのあたたかい交流の場である本屋=無人書店などけしからん」に引っ張られて、そこに議論の軸をもっていくことになってしまう。
使っている「バズらせの技法」は岸田奈美氏と同じかな。感動的な要素を入れ込んで、そこに反応する「思いやり大好き」な者をエモエモにして盛り上がらせる。思いやりでどうにかなるわけではない根本の問題、つまり構造の問題は忘れさられる(のだけど、二村さんはその自覚がないような気がする)。
社会状況が改善されて本を買って読む余裕を皆が持てるようになれば、有人だろうと無人だろうと本屋は成立するようになる。それでいい話を、「無人本屋なんてあたたかみのない場所......!!」みたいな要素を滲ませちゃうから、そっちの話にずれていってしまう。取次のためだけの提言が気に食わないならそれだけ言えばいいのに、自分のパニック障害の話を入れちゃうから(以下同文)。
本が本屋が好きな者らはエモエモなものに弱いので、なおさらそっちに引っ張られて肝心のところから離れていくことになる。あらゆる「○○は思いやりでは解決しない」をずっと体現しているのが出版業界です。
Mastodonで私の投稿を読んでくれているようなみなさんはそうはならないでしょうけど、Twitterにいる書店員・出版社・本好き読者界隈の者らは、この二村さんのnoteを読んで「無人本屋なんて本屋じゃない!」としか言わなくなってしまうのがほとんどです。批判のための一要素でしかない、しかしもっともエモさを含んでいるもの(パニック障害や無人本屋)に引きずられて、その要素を生じさせている根本原因(業界の歪な構造や社会状況の悪さ)には触れることなく終わってしまう。
そしてこういう「嫌なこと」を言う私のような者は、“思いやり"のある出版業界のナカノヒトたちからは嫌厭されるのでした。ようは「なんでそんな酷いこと言うの!二村さん(私たち)はがんばってるのに!」なんだと思うけど、がんばってるのわかってるからこそ、構造の問題をどうにかしないとそのがんばりが報われないんです、という話をしているのが伝わらない。
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そしてこういう「嫌なこと」を言う私のような者は、“思いやり"のある出版業界のナカノヒトたちからは嫌厭されるのでした。ようは「なんでそんな酷いこと言うの!二村さん(私たち)はがんばってるのに!」なんだと思うけど、がんばってるのわかってるからこそ、構造の問題をどうにかしないとそのがんばりが報われないんです、という話をしているのが伝わらない。