環境破壊に限らず、あらゆる悪環境はそこにいる弱者(にさせられている者)をもっとも苦しめるわけで、環境問題や人権問題をどうにかしようとがんばっている者を揶揄するあなたもまた、それに苦しめられるのですよ、それでいいんですか、理屈で考えればあなたの幸せはそこにはないですよ、という話になる。

が、たとえば部活の上下関係だとか、あらゆる場所にあるわけわからん伝統とやらに疑問を抱かない、それどころか積極的に受け継がせよう=同じ経験をさせようとする者が多くいるのを見ていると、上記のような理屈は意味をなさないのだろうと思える。理不尽な上下関係に苦しんだ1年生は、先輩になるとその理不尽を下級生に繰り返す。理不尽な伝統を必死に守らされた者は、そこから逃れようとする者を批判する(例:坊主じゃない高校球児に対する年長者の態度)。

どんな環境になっても、どうせ自分は幸せになれない。満たされない。だからみんな苦しめばいい。自分と同じ苦しみを味わうべきだ。そのような諦めが根本にあるように思える。

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あるいは、自分が必死に従ったものごとになぜお前は従わないのか、というような、抵抗行為ができることへの嫉妬か。

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