過去=歴史を大事にしないこと、それはつまり安易に抹消したり都合よく改竄したりするようなことであり、そのような行為を躊躇うことなくできるのが独裁者なのだということ、さらに、そのような独裁者の蛮行に対してなにも思わない者たちがたくさんいるということは、やはり過去=歴史(をもとにした創作)が実証している。

仕事のPDCAは躍起になって回そうとするのに、歴史のそれは回そうとしない。回ってしまっているということ、より正確には時の権力者によって恣意的に、そして我々ひとりひとりによって無意識のうちに回されてしまっているということに、多くの者が気がついていない。

過去=歴史を大事にしない者によって回されるPDCAには根拠がなく、回し続けていくほど基盤がボロボロになっていく。PDCAを回すために=根拠があるかのように振る舞うために嘘をつき、さらにその嘘を誤魔化すための嘘をつく。成功の糧とするためにも必要な失敗、その失敗の歴史がなかったことにされるため、またその失敗を繰り返す。参照できる過去=歴史が失われていく世界に未来などない。当然、独裁者にも未来はない。

『1984年』の世界が崩壊し独裁政権が倒されたという読み方をピンチョンがしていたが、それはこのような機序によってなされたものなのかもしれない。ただの自滅。社会自体の崩壊。その歴史を外部の存在がたまたま記録していただけ。

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ただ、その歴史を記録したり発掘したりするためには内部の者によってなんらかの歴史を残していく必要があり、公的な歴史が意味をなさない社会にあっては、主人公ウィンストンのつけていた日記的なもの、名もなき個々の私的な記録こそが意味を持つのだと思う。それがアナログなのかデジタルなのかは関係ない。とにかくあらゆる手段でもって残さねばならない。

だから個々がブログなりZINEなりなんなりで私的な歴史を残していくことには、とても意義がある。本という媒体に限って言えば、もはや商業出版されるそれよりも後世では価値があるとも思っている。売れることが見込めなければ出版されない、それは裏を返せば「刊行されている本は売れるという目的のためになにかが損なわれている」ということでもある。

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