「そもそも嘆きとは何か。まず嘆くとは、湧き上がる悲しみを全身で受け止めようと試みることだろう。嘆く者の震えは、みずからの肉体を言葉にならないものの媒体に変えようとする・・・」(柿木伸之 「嘆きからのうた ―― 声と沈黙の閾で ――」) http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/2381
ベンヤミンが言う「伝達する言語」ではない言葉のもっとも起源的な使い方とは、言葉が行き詰まるところで、「沈黙は、一種の真空状態を作りだして、人間の、悲しみと区別のつかぬ「気がかり」を引き寄せずにはいない」(川村二郎『アレゴリーの織物』講談社文芸文庫2012年、p.350)というような、臨場する他者の「こころ」を誘い出す働きのことなのだろう。