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「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」(ゴータ綱領批判)受け取ること、つまりは<交換>を越えて、<贈与>の原理が働くことが必要なのである。

ところでこの<贈与>の原理は、一般に理解されるように一定の生産力の余力が生まれたときに、という保留条件がつくものなのだろうか。

マルクスの考えもあまりはっきりしていないように見えるが、

「私たちの生そのものが贈与に支えられて可能となっている以上―自然それ自体からの無償の贈与、先行する世代からの無数の贈与、ともに生きている他者たちからの不断の贈与を受けとらずに紡がれてゆく生など、およそありうるでしょか―、贈与の事実そのものについては、その存在を疑う余地がありません。

贈与の原理はたほうまたその困難のゆえに―贈与が純粋な贈与であるかぎり、その存在すら気づかれてはならないのかもしれません―、現在の思考の課題ともなっているところです。」(同p.259)

現実の生はそのように<贈与>なしには成立しないことだけははっきりしている。我々が現在を生きているということはそういうことであり、それがなくなったときには、太陽という根源の贈与者がなくなったときあらゆる生命が存在し得ないように、我々も生きていられないというだけのことだ。

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