「真も善も美も理念としてはめぐり会えるかどうかすらわからない、しかし厳然たる妥当性として現実に存在している。」(三島憲一『ベンヤミン 破壊・収集・記憶』,p.74)
そう、それは確かにあるのだ。でもそれは必ず手に入れることができる訳ではないのだ。すべての人間的な事柄がそうであるように。
人間であるってことはそもそも未完であるっていうこと
「対象を完全に認識することは一種の認識理想である。従って、「存在」とはいつでも原理的に「未完」であり、「いまだない」を含んでいる。それは一種の極限概念であり、「無限な課題」なのである。
「無限な課題」としての存在は同時に、「根源」としてすでにわれわれの認識をはじめから導いていたのでなければならないのである。
「存在」とは「いまだない」である同時に「いつでもすでに」でもあり、原理的に生成過程にある。」(村岡晋一『対話の哲学』講談社選書メチエ2008年,pp.39-40)