「ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向」への反発について
@gaogao3958V これは同時に、当事者や現実に対人での対応がある現場の実態よりも原理原則に照らして「そうあるべき」が起点の理屈の方をのみ重要視しているように見えると、人の気持ちを無視して原理原則や理屈にのみ拘泥していながら反対意見に対して「どうしてそうなるのかわからない」と宣うのは単に自縄自縛の結果なのでは…??と思ってしまう
「ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向」への反発について
@gaogao3958V 「ペドフィリア差別」の具体例の一つとして例えば職業選択の自由に関する問題があると思うんですが、教師や講師や学童スタッフやその他子どもと関わるあらゆる職に対して小児性愛の欲求を保ったままかつそれを公言する人が就労を希望するとき、すまんけどダメです!としか言えん 「これは差別だけど、人権のその部分を制限する振る舞いではあるけど、すまんけどダメです」としか言えんです
「ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向」への反発について
@gaogao3958V 原理原則に照らした理屈の上で正しい振る舞いを目指すこと自体は「あらゆる差別を無くそうと努める」立場として一貫してると言えるとも思うんですが、実存の被害者や対人現場の現状(そこには確実にひとの『気持ち』が関わってくる)を度外視してまで「正しい振る舞い」を追求するのは差別を無くすことでどういう社会を目指すのか、差別反対のそもそもの目的を置き忘れているのでは?とも思うんですよね
「内心に秘したままならいさ知らず、表出した時点で許されない」までならまあ表出先によってはそういう場合もあろうなと思うのですが二の句で「そういう奴は◯んでほしい/◯してやりたい」とか言われると待て待てあんたのそれも内心からまろび出てやばいことになってるからやめなって言わなきゃいけなくなるからやめてほしい