個人的な話になるけど、若い時、ジャーナリストだった堂本暁子さんを知事にしようという運動に参加したことがあって、保守王国の千葉で女性知事を誕生するのを間近でみた貴重な経験がある。そんな中で何も知らない男の俺ですら、この国の政治、経済、社会システムが男性、もっと言えば男根主義にがっちがちに固められているのを実感させられたことが連続するわけで、まぁ何せ同じ陣営にいるはずなのに敵が中にもいるみたいな奇妙なことが連発するわけでね。当の女性にしたら、そんな中でトップに上がることがどれだけ大変なのかは、男の俺には永遠に分からないだろうなと思う。
こうした構造を作り出しているのは男であり、そこに左も右もあまり関係はない。実際、あの選挙では左側陣営にいたはずの俺ですら、そうしたことを毎日見せられていたわけで。そこを潜り抜けてきた人を、その構造を批判する個人に帰結させるような批判の仕方は俺はしたくない。男の俺がそれを言ったら、おしまいだろ、と思うのでね。
堂本知事時代の千葉は、まあいろいろとあって、良いこともあったけど、支持者らからも批判されることも少なくなく、志半ばで堂本県政は少し悲しい結末を迎えてしまったけど、その後この国には女性知事が誕生し始めるわけで、堂本さんの苦闘は決して無駄にはならなかったとは思いたい。
小池への批判材料は、その政策やその思想、その思考と、日々小池が行っている政治行動の中に十分すぎるほど揃っている。そこが注目されていないのは野党の力もそうだが、権力監視機能を持つメディアの衰退が一番の原因だ。東京ローカルの番組で都知事候補の討論会が一度も行われず終わった選挙など平成以降、過去に殆どなかった。これがメディアの敗北でないとしてなんなのだ?結果としてそれが石丸のような鵺が鳴く隙を与えているのだ。その背後にいる石丸の兵站を担っていた岸田の後を考えている連中の高笑いが聞こえてくるようだ。石丸が2位になろうとしていることは、小池が続投することと同様にメディアが権力監視機能を本格的に失い始めていることの証明となっている。
岸田後を見据えている連中による次期衆院選への布石は打たれ、相変わらず立憲民主党東京都連が全く組織をまとめられない、まともな選挙ができないという能力不足を露呈し、挙げ句に蓮舫氏を失い、そして連合は相変わらず反共反共と叫び続けて、都知事選は終わった。そして我々は今後日本の命運を決めるであろう衆院選を迎えるわけである。