自分のことをリベラリストだとは思っていないけど(かといって権威主義を志向しているわけではないけど)少なくても私の知ってる「リベラル」というのは、個人の内面の問題について国家や他者が踏み込ませない、ということも大事だけど、漸進性と寛容性をどれだけ持ち合わせているのか?、というところが要だったと思うのだが、今、私のTwitterのタイムラインに流れてくる「リベラリスト」には、漸進のぜの字も、寛容のかの字も伺えないものばかりである。
あなたは左かと言われたら、迷うことなく左と答えてきたけど、やはり私のTwitterのタイムラインに流れてくる「左派」の言動からは、唯物論とは真逆の、権力勾配に無頓着な、階級のかの字もない、権威と見られる人の口から出てきた浮ついた言葉を、咀嚼もせず、再考もせず、一度も自分で飲み込むことなく、右から左へと受け流して、悦にいっている者が溢れている。
東大駒場の権威に阿り、狭い世界で構築されているヒエラリーを重んじ、唯物論を放棄し、階級を透明化する。ただの民草の1人でしかない私であるが、こんな連中と同じ括りに入れられるのはごめん被りたい。自分らの「信仰」を推し進めるために他者が流した血や汗や涙を、負った痛みを、簡単に捨て置けるような連中と一緒にされるのは勘弁願いたい。