被害者意識なのだろうか…8月になって思い出すのは、当時10代前半だった亡き母の語る思い出。
東京大空襲で昼間のように明るくなった焼夷弾の中逃げ回り、明くる日の全焼してしまった中仙道の向こう側を呆けて見つめたという。
大人になってからも、自衛隊の練習機の音をテレビで聞いたりすると、胸がドキドキするトラウマに悩まされていた。
市井のひとたちが何もできずにただ逃げ回った日々は、決して忘れてはならないと思う。母は戦争の話や右傾化する政治の話を聞くと、心底嫌な顔をした。
終戦の1945年はすでに遠い。母も亡くなって3年。被害者であろうと加害者であろうと、忘れてはならないと思う。
だから戦争経験者の娘であるわたしは、8月になると戦争の話をする。ここでも教室でも。