『我々は 人間 なのか?』
ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー/BNN新社
石器からスマートフォンまで、人間がデザインし生み出した道具によって、私たちはリデザインされている。
左利きが"矯正"されるのも、アーキタイプが"母"に求められるのも、血縁から"家族"をつくるのも、人間の生活慣習と社会環境からの要請によるものであって、今日あたりまえのように思われている構造とはここ何十年か、ときには何世紀にもわたってデザインされ続けてきたものの結果でしかない。
同じように、生物としてのオス・メスの区別が存在することとは別で、オスを"男として"扱うと決めているのはデザイン上の問題ということだ。
もっとも近年の研究では、生物の性そのものがスペクトラムなのだという考え方もあって( https://nhkbook-hiraku.com/n/nb2d4f6cbc36b?gs=ac3f3f07f1b7 )、こうした事実や知識に基づいて、旧い構造を残置せず新たなデザインで置き換えていくことは、人間の当然の営みなのだ。
私たちはデザインすることで、人間としての存在を更新し続けてきたのだから。