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岡本太郎展にいってきたが 

岡本太郎の作品は、平成のぬるま湯で育ってきた身からすると、いかにも昭和的なパワーの象徴のように思えてならなかった。万博という夢の跡に聳える「太陽の塔」も、人が蠢く渋谷を見下ろす「明日への神話」もだ。
でも「なんだこれは」が「なんだかよくわからなくて気持ち悪い」につながってしまう、それはひとえに自分の無知から来るものだと思い知らされた。

彼の境遇を顧みても、若くして生活や価値観のやり直しを強いられた彼等の世代にとっても、必要なのは全く新しいパワーだった。
かつての日本には、なんだかよくわからないものこそが発することのできる力を、その身で受けとめたり大衆に広げたり公共空間の象徴としたりするだけの度量とセンスがあったらしい。

それから半世紀、岡本太郎を経たはずの日本人の心はとくに進歩もせず、調和もせず、かといって爆発もせず、ただスマホと慣習の奴隷となって時代を彷徨っている。
対極にあるものをなんとか覆い隠し簡略化し時に誤魔化してまでも、なあなあにしようとするのが現代なら、その現実を見通す眼と風穴をあける力が欲しい。

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