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梅吉さんと小夜ちゃんがなぁなぁになってダメな状態なのにスズ子がブチ切れるのは当然だし怒っていいんだけど、花湯だったら彼らはゆるっと包摂されて、できない人なりの働きで認められていたんだろうなと少し切ない。
ちょっとしか役に立たない人でもOKなのは、梅吉だけじゃなく六郎や占いのおっちゃん、アホのおっちゃんで何重にも描かれている。

大阪は義理と人情、対する東京は…みたいな陳腐な図式に落とし込むのは危険で、戦時下の心の余裕のなさと解釈すべきなのはわかっている。

でもさ、田舎から出てきた者にとって東京は「何者かである人、これから何者かになる人」の街っていう感傷的なイメージはあるんだ(もちろんそんなの屁でもない人も多いけど)。
特にスズ子みたいな仕事の人は常に「自分とは何か」を問われてているから、そうじゃない人との差がはっきり出てきてしまう。

風呂屋というのは人が裸(そのままの自分)でいられる場所なので、ちびスズ子もそのままの自分で歌っていられた。梅丸の看板を背負っている今は責任も大きくて辛いねぇ。
淡谷先生はそれをも乗り越えているから女王なのだわね。豪胆。

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