『福田村事件』
理由は伏せますがちょっと距離を置いて観ました。作品自体はとても意義のあるものというのは前提として。

『福田村事件』

はっきり言って、下手くそです。

画調はペラッペラだし、井浦新や田中麗奈の立ち回りはノイズだし。

題材からして2hの映画にとても収められるテーマではない。
しかしそれでも、永山瑛太演じる親方のセリフ「朝鮮人なら殺してもいいんか」から、100年後の世界を生きる人々が噛み締める何かがきっとあるはずです。

なんとなく軽い気持ちで、あるいは「善意」で、出どころ不明のフェイクニュースー多くは災害や事件にまつわる内容ーを友達とシェアする。

あるいはいい大人になっても「ガ○ジ」だの「エ○ヒニン」だの、カジュアルに日常生活で使う人たちとか。
(外れるけど、自分は差別しないと思っているのか、単に無知なのか、確信犯でなのかはわかりませんが、そういう言葉のチョイスをする人を心底軽蔑します)

要は、ちっちゃなヘイトは誰でも育てることができて、それが集団化した時にいっきに人は鬼になれる。

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だからこそこの映画で残念だったのは、加害側にまわった人々の肖像がほぼモブ化されていること。
東出昌大に「センジン(=朝鮮人への蔑称)は嫌い」とまで言わせておいて、最後に加害側として立ち回らせないのは何故なんだぜ。

イデオロギーとか人種国籍とか、あるいは国家の法律の下においてだって、それらに基づいて人を殺すことに何の正当性もないはずです。
でも、いま自分のまわりに溢れている言説を覗いてみると、彼らが殺された時とすごく近い空気を感じます。

こういうこと書くと、また誰かに「学級委員」とか揶揄されるんですけどね😇😇😇😇

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