F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(大貫三郎 訳)読了。
奇跡的に内容をまったく知らずに読み始められてよかった。想像とまったく違うストーリー展開になって驚いた。
巧みな心理描写で、登場人物の感情が目まぐるしく変わっていくのが伝わってくる。
場の空気感まで肌で感じられる。
表現の好みな箇所がたくさんあり、これでもかとマーカーを入れた。翻訳によってまた印象が変わるのかしら。
大富豪のギャツビーを中心に、癖の強い登場人物が起こす修羅場にはハラハラさせられた。
傍観者として振り回された主人公、ここにも個人的に共感できる点はないのだけれど、共感できないことって大事だなと思う。いろんな人間がいる方が面白いので……
主人公の彼が三十歳になり、これからの人生どう選び取って生きていくのかが気になった。
ギャツビーは元恋人を諦められない。
人生のうち、ほんのひとときの交流のなかに情熱を見いだしていく様子は眩しくて切ない。一途といえば一途で、過去に囚われているといえばそうだと思う。
過去を過去として扱い、新たな人生に踏み出していくのは不安が付きまとう。でもそうやって人は生きていくのだということが希望でもある。
この小説そのものみたいな会話だなぁと思った箇所抜粋。
" 僕たちは暑さを避けるために、やはり暗くなっている食堂で昼めしを喰べ、妙に燥いでもいらいらするので、冷たいビールを呑んで忘れたのだった。
「午後いったいどうしようかしら?」デイジーが叫ぶように言った。「それから明日は、それからこれからの三十年間ってものは?」
「病的になっちゃ駄目よ」ジョーダンが言った。「秋になって涼しくなったら、また新しい人生が始まるんだから」"