@soda 私がキリスト教徒ではないから言えるのかもしれないですが、やっぱり死んだら元も子もないと思ってしまいます。生きていたらその罪も償える。(と信じたい。)でもキチジローを見ているとそんな風に割り切れる話でもなく、キチジローが登場する度に相当苦悩させられました。そして神父様たちの出す結論には一般の信者とはまた違う重みがありますよね……。
踏み絵は必死に生き延びた者たちの仲も引き裂くような非道なやり口というほかないです。歴史として知っていても具体的に考えることはなかったんですがこの本はそのきっかけをくれました。
神に対する憎しみですか!あり得ますね。長い人生の中でずっと考えていたでしょうね。想像を絶する苦痛があっただろうと思われます。ソーダさんのお話を聞いてまた本をパラパラめくってみたりして改めて向き合う時間になりました。
話は変わりますが『侍』積んであるのでいつか読むのが楽しみです
@erin@fedibird.com
確かに死んだら元も子もないのですけどね…。戦国武将でもキリシタンに関係なくそういう人たちはいましたけど、死ぬとわかっていても命をかけて自分の信念を貫く情熱と、その熱い思いには心が打たれるところもあるのですよね…。さらにこの沈黙のように、生きる方を選んで、すべてを手放して生き続けても、自分の思想や信念とはかけ離れたことを何十年もさせられ続けるとすればなおさら。
生き続けるとすれば、私なら映画「アマデウス」のサリエリのように神に対して「あんたは敵だ」と思うでしょうね。その方がずっと心が楽です。神を愛し慕っているのに、その神からこんな生涯続く残酷な試練を与えられていると思うとあまりの理不尽さに頭がおかしくなりそうです。激しいDVを受けながら離れられない女性のようなとても残酷な状況だと思います。
クリスチャン系のサイトですが、ここで現役の神父にあなただったらどうするか?と訊いてるの興味深かったですよ。
「映画「沈黙」 ロドリゴ神父の実在モデルとなったキアラ神父の信仰」
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23260/20170218/silence-movie-catholic.htm
この方の答えは、棄教したバテレンも神は憐れんでくれると信じる、と言ってますけど、個人的にはカトリックの歴史とかを考えると、その答えはちょっと異端な気がしてどうだろう?と思わないでもないです。まぁ今のローマ教皇は結構庶民的な印象なのでどういう考えや判断をするのかわかりませんけど。
もう見てるかもですが、Netflixにある「2人のローマ教皇」という映画、気さくで親しみやすい感じの現ローマ教皇の人柄の一端がわかって面白かったですよ。前ローマ教皇のベネディクト16世と現ローマ教皇フランシスコの対話と引き継ぐ経緯を描いたお話。ちょこちょこフィクション入ってて現実はこの映画ほど友好的な感じではなかったみたいですけど。
「2人のローマ教皇」
https://www.netflix.com/title/80174451
なんにせよ現役の神父でも何度も繰り返し考えこむようなお話ですね。フェレイラ神父、キアラ神父は考えるまもなくその答えをだして選択しないといけなかった点で我々とは全然違いますけど。
「侍」読みましょう笑 読んで色々考えた後で、そもそもこの人達をヨーロッパに送り込んだ伊達政宗って何者や?独眼竜?ちょっと調べて何か読んで見るか…結構おもろいおっさんやんけ、みたいな未来が見えます笑
すでに知ってたらすみません😥
Twitterみたいな文字制限が事実上ないみたいなものなので、やりたい放題調子に乗って長々と書いてしまってお目汚しすみません😣
@soda 私も返事がトロくてすみません 💦
周りにあんまり本を読む人がいなくて、この件に関して誰かと話したことがないので勉強になります〜!この件どころか、いつもかなり閉じた世界で読書してる感じなので、こういう広がりがあるんだと新鮮ですよ!
記事読みました。こうやって愛のある言葉をかけてくれる神父もいるんだとちょっと驚き救われた思いです。
小説の中では棄教したことで追放や司祭の権利の剥奪だけでなく汚点とみなされているだろうと考えるシーンがあったので、絶望的だなと思っていました。そういう葛藤が描かれているのも人間味がある表現で惹かれるんですよ。
自殺は罪だから選択肢になかっただろうし、どれだけ苦しくても生きることに意味があったと思いたいですよ。
『侍』読んだとして、感想書くのがプレッシャーかもしれません。笑
私は小説を読むのは好きだけど諸々詳しくはないのでお手柔らかにお願いします
@erin@fedibird.com 本読む人まわりではあまり見ないですよね。ここで読書タグをたどってみて「お、何か色々読んでる人たちいる!」ってちょっとびっくりして、最近あまり読んでないから何か読まないとなって思った口です😅
あの神父さんは寛容ですよね、私もへぇって。当時のイタリアへの報告も「棄教」ではなく、全然扱いが違う「殉教」と伝えられたって書いてあるので、当時でもキアラ神父の苦渋の決断を理解して配慮して報告してくれた人がちゃんといたのでしょうね。
プレッシャーなんてとんでもないです笑 私もエリンさんとこうやって書きながら、そゆことかな?って思いながら書いてるだけですから。感想とか人それぞれだし色んな意見や解釈があるのが一番面白いところです。私も音楽のこととか色々書いてますけどよくわかってないこともしれっと書いてるので笑、何かそのうちボコられるんじゃないかとビクビクして投稿してるので全然大丈夫です笑 みんなそんなもんです
お返事全然無理せずに適当なところで切り上げてもらって全然大丈夫ですよ。何か落とし所が必要な話し合いってわけでもないので笑 私は会話でも相手が話してくれてるとずっーと続けてしまうたちで、お互いに続ける人だとずっーと終わらなかったりする人なので疲れさせてしまったりするのですみません😅
@erin@fedibird.com
あ、ほのめかされてたのですね。それはよかった(?)。色々記憶がやばくて下手なこと書けません😅
でもあのキチジローですら、自分では弱い人間と言ってるけど家族全員殺され何もかも失って、半裸でさ迷い歩きながら何度も何度も踏み絵を踏んで、それでも生き続けて自分を許せと言い続けるのはほんと尋常じゃなく強いと思うのですよね…悪く言うと超人的に面の皮が厚いというか…
拷問を受けてそのまま自分の信じる道を貫いて死んだ人たちもたくさんいたわけで、人間としてどちらの生き様を良しとして見習うべきなのかほんとにわからなくなります。
フェレイラ神父もロドリゴ神父も、あんな状況になっても自分たちを70歳80歳まで生かして苦しみを与え続ける神に対して、神の意図やキリスト教を本心ではどう思ってたのだろう?と考えてしまいます。遠藤周作や映画の思いと違って最終的には憎んでいた可能性もあるんじゃないかって。
でもとにかく良い映画でしたね。号泣するのもわかります。ちらっと本を見返して、最後の亡くなった当時の記録資料らしき部分に「伴天連(ばてれん)岡田三右衛門」って書いてあって、結局死んだ後も日本人でもただの外国人でもなく「伴天連」扱いされてて、何もかもすべてを捨てた彼の人生は一体何だったんだろうと考えてしまいました。