お世話になっていた下井草の鍼灸院が長いこと電話繋がらないなと思っていたら、訃報のはがきが。9月に亡くなっていたとのこと。ご遺族の名前を存じ上げないので、誰が亡くなったのかさっぱり分からなかったが、なるほど三宝閣の玉田さんだった。
大学院生時代に生まれて初めてお世話になった鍼灸が三宝閣だった。その頃わたしは平安後期の国書漢文資料『医心方』の漢語声点の研究をしていて、東洋医学書をかじったりしていた。折しも奥さんが鍼灸師になるために専門学校に通い始めていて、東洋医学を頭と体で味わっていたのだった。
下井草を離れて25年、関東での仕事を再開したおりにふと立ち寄ってみた。昔と変わらず、3000円ぽっきりで患者さんがひっきりなしに訪れていた。あれから私もいろんな鍼灸院を体験したが、原点に戻ってみてこの人は名医だったんだなと気づいた。鍼灸院はボロボロで薄利多売の様子は近時珍しい。カーテン一枚の向こうから生活苦を訴える女性の相談事をカラカラと笑いながら励まし、ちゃっちゃっと仕事を終えて「また来なよ」と送り出す感じは、他の鍼灸院ではあまり見られない光景だった。
Google Mapsで確認すると「閉業」とあった。もう下井草で下車することはないだろうなと思う。