それで兵庫県知事の「指導」です。この言葉はお役人やお役人に忖度する方は大好きですよね。「協議」とは本質的には両者がステージから降りてより良い場所に着地することじゃないですか。「指導」は、する側が自分のステージから降りず、参加者が「指導」を内面化することでしか幸せな着地がない。そういう社会の仕組みに慣れた人は、指導は正当な仕事のフレームワークだし、それに従わなければ仕事をしてないとみなす。
そういう社会でうまくやっていくためには、自分をそのフレームワークにうまく馴致させるのがよい。
とはいえ役人もサラリーマンだから、面従しながら仕事をするのも大人のひとつのやり方でしょう。ところが金太郎飴みたいにどこを切っても外面と内面が一致しているやばい人が時々いる。自分がフレームワークになっちゃっている人です。このところの会見などを見るに「指導」を疑わない方であるようにお見受けする。
たぶん、このまま百条委員会でやりとりしていても、この方はこのまま「信念」を通すのだろうなと思う。ここまでできあがっちゃった人はそう簡単には変われないのではないだろうか。(2/2)