上野三碑で知られる「山上碑」(681年の石碑)に行ったのだった。
辛己歳集月三日記
佐野三家定賜健守命孫黒賣刀自此
新川臣兒斯多々彌足尼孫大兒臣娶生兒
長利僧母爲記定文也 放光寺僧
「佐野三家(さののみやけ)を定め賜える健守命(たけもりのみこと)の孫の黒売刀自(くろめのとじ)」とか、「母の為に記し定むる文也」などと読み下せるので、日本語の語順になった漢文として有名。この時代の漢文にはこうした日本語の語順が反映しているものがあって、同時期の朝鮮半島からも中国語の語順に違背する碑文が存することから、その共通点が話題になることもある。
wikipediaによくまとまった記事がありますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/山ノ上碑