武蔵野銀行の略称が「武銀(ブギン)」、人間科学部の略称が「人科(ジンカ)」というところから、略称になると元は呉音読みだったのに漢音読みになってしまう現象って、何だろうと考えている。すぐにでも思いつくのは、漢音読みのほうが一般的で汎用性が高い=言語学で言うところの無標だということ。
確かに呉音は、漢音の「行動(コウドウ)」に比べて、「行者(ギョウジャ)」など特殊な読み方が多い。
関連して読んでいた湯沢質幸『漢字は日本でどう生きてきたか』開拓社を読んでいたら、「京浜(ケイハン)」←東京(キョウ)が出てきて、なるほど路線名や道路名にもこの現象は多いなと思い返す。「京阪」「京王」「京成」すべてケイ。呉音とのペアでなくとも漢音で読む「名阪(メイハン)」なども類例か。
この本では、「埼京(サイキョウ)線」が特殊とあって、面白い。なぜ「サイケイ」ではないのか。いくつか説が上がっていて、「サイ」は実はサキがサ行イ音便化した訓読みなので、2字漢語を作るメカニズムにないというのにはうなずける。
略称を作るときには、何となく「漢語っぽいもの」を我々は無意識に作ろうとしていて、その「ぽさ」は漢音で表象されているようです。呉音は、語種としてはもちろん漢語だけれども、和語に近いということがここでも分かるということか。