一握りの天才がある領域を引っ張っていくという幻想は、我らが研究の世界にもあるかな。もちろんものすごいセンスで見えなかった研究領域を切り開くように見える人はいる。しかし天才とかいう思想とはちょっと違うかな…。どんなに発想が優れていても、研究の世界は日常の一環として続けていくということが大事だといまの僕は思う。
アートや美大周辺によくある”何者かになれ”という強迫で「普通」を軽視して壊れていくのを散々見てきた - Togetter
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一方、大学院生のころは天才幻想にとりつかれて、誰はすごいだのという井戸端会議が盛り上がるのもよくある風景。ある種の中2病、あるいはセカイ系の一形態なのかもしんないと思う。自分には隠された才能があるとか、通常の努力や関係性抜きにいきなり研究業界を背負い込んだ戦いに…とかなりがちな点で。
いつまでも大学院生の感覚を引きずった大人がいて困るという話を聞いたことがある。大学の教壇に立つ人は、まず社会的な大人でなければならないとも。社会的な大人は、日常をちゃんと生きて社会とのつながりをないがしろにしない人だと。実践は難しい。それは教育に特に言及する意味で聞いたのだけど、研究だってそういうところはある。
普通、いいじゃないか。