相対的な弱者であるかではなく、また絶対的な弱者であるかでもない。
主観的に弱者であるとの自己認識があり、なおかつ社会の構造によりそれがなされており、またその構造は不正義であると認識している。

第二次世界大戦後の社会規範は左派が打ち立てた基本的人権が建前ではあっても絶対的なものである。
となるとその社会規範の下の構造で不正義がなされているとの認識をエリートが持つ場合は右派の提供する物語やロジックをチェリーピッキングし既存の社会規範そのものを否定していく。

トランプ現象や維新、国民民主、またそれにすり寄るノダメやキョロ充はまさにこれの流れだろう。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。