そう、自分の判断基準は昔から利己的。
自分自身の属性を踏まえたうえで自分の生存のために役立つ理屈が基本的人権であり、自分の属性に合致した用い方をするだろう候補に投票している。
だから自分自身にとって都合よく矛盾を受け入れているのも事実。
その一方で自身の生存がある程度確約されたなかでその矛盾の解消するには?とも考える。

俺が自分の生存と政治とが直結していると自覚したのは第一次安倍政権のとき。
あのとき潰瘍性大腸炎が特定疾患から外されるという話が出てきた。
患者団体や当時の民主党 山本孝史氏らの尽力もあり撤回されたが非常に恐ろしかった。

特定疾患から外されると医療費が高くなるんすな。
潰瘍性大腸炎が増えてるから外そうぜを認めると同じ炎症性腸疾患のクローン病にも、他の特定疾患にも波及する可能性があった。
で、はっきりいうが特定疾患持ってると収入少ないんですよ。
入れる保険も少ないし高いし。
自分は氷河期だしまともに働けてないし。

コスパの悪い存在だからいなくてもいいよね。これを突き付けられて恐ろしかったってのがあります。

そしてこれを否定するロジックかつ武器として基本的人権があり、かつ日本国憲法があるなとも気付いた。

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黙ってると切り捨ててくると気が付いた。
だからコスパの悪い存在だからいなくてもいいを否定した鳩山政権には希望を持ちましたよ。マジで。

それで第二次安倍政権が出来て麻生太郎が年寄りなどの攻撃を始めて。維新もそれやって。
弱者や病人は敵である。これを明確にされ、かつ世の中にも拡がって受け入れられた。
だからよりマシな選択のために抗わなきゃ殺されるとの危機感を持ち民進党の党員になったんですよね。
当時の民進党なんて死に体で勢いなんてなかった。
でもそれでも蟷螂の斧でも動かなきゃいかんと考えて入った。

党員になりたいと伝えたら驚かれたのを覚えてますよ。
それで枝野幸男氏が立憲民主党を立ち上げて栃木県の民進党もそちらにスライド。
良かった、世の中に希望はあると考えて2021年の選挙、そして代表交代してしばらくは支持してたし擁護もしてた。

民進党の党員になった時点で前原誠司氏の主張する all for all の理論的根拠となる井手英策の書籍は読みましたし、そのときは正しいと感じました。

それで2021年選挙後の代表交代してからの立憲民主党の行動や主張、そして泉健太氏の代表としての発言・行動に強い違和感を覚えたんです。
今になって考えると「泉健太に代表交代してからの立憲民主党は弱者や病人に対しマイノリティのための犠牲を暗黙のうちに了承させるのが主流派になった」からなんでしょうが、そのころの自分はそれを認められなかった。

あまりにも乖離しましたからね。その乖離を認める過程で体調悪化。
ストレスで血圧上がるし心臓痛くなるし情緒不安定になるし。

このままじゃ駄目だと判断して立憲民主党の栃木県支部に「自分は立憲民主党の党員であって希望の党の党員ではない。だから辞める。」とメールして辞めました。

なので今は無党派です。

めっちゃ簡単にまとめると泉健太に代表交代後の立憲民主党は維新に近付こうとするのが主流派になったと判断できる材料ばかりだったため自分はやはり切り捨てられると考え、そのストレス過多で体調悪化して党員を辞めたんです。

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