学習の対象としての運動
テニス🎾のあるショットについて技術上の説明をする機会があったが、他の人達が理解できたのかよくわからず少し不安になっている。
身体を動かすというのは案外難しくて、座学によって主に吸収されるような知識的な部分も結構あると思う。
しかしレクリエーション気分で運動に取り組む人は爽快感などを恐らく求めている訳で、もしかしたらそこに勉強的な要素が入って欲しくないのかもしれない。
上手くやったり怪我を予防するためにはそれなりに学ぶ必要があるのだよ……などと思う。
しかし学習の為に必要と思われる忍耐力的な何かまで他の人達に要求するのは流石に無理があるのかな……などと思ったりもする。
学習の対象としての運動
多分知識の伝達自体はあっさりと素早く済んでしまうのではないかと思われる。
ただ恐らく肝心なのは「如何にわからせるか」ということなのだろう……。
(あくまで私見だが)やり込むと上手くなるというような話ではなく、理屈をどこまで理解しているのかというような話に結局は行き着くのではないかなどと思っている……。