過ちからの脱出
別にブロックまでしなくてもとは思う。
多分染まっている価値観というか世界観みたいなものが結構尖ってしまっているのではと感じた。
twitterでも時々見かけるのだが、ある種の世界観を反映したドクマ的な何かがありそこに背いた発言を見ると怒り出し糾弾し始める人々がいるように思われる。
twitterを始めたころは自分もそういう雰囲気に飲まれて一緒になって怒ったり、扇動的なtweetを拡散したりしていた。
虐げられているという思い、不公平への怒り、弱者への(感情的な)共感。
それらに加えて嘆きや怒りもあるように思われた。
往々にしてそういった要素を備えた人々の私生活らしきものというか垣間見える内面的生活は豊かそうに見えるのが、ギャップという点でも魅力的に思えたりもしたものだった。
自分がそこから離れるに至ったのはたまたま見かけた医師らのtweet(s)と影響されたからで、それは簡単に言うとエビデンスレベルの概念とその強弱の判定を情報一般の信憑性/確からしさの審査に役立てるという発想を自分に与えた。
すると信憑性には濃淡があることに気付き出した。
不確かな情報の海から自分は上がって歩き出した。
確からしいものは少ないように思われたが同じ手法を採用する人々に会えた安心感があった。