結局"悪い"のは誰なのか?"犯人"は誰?
多分事故の原因を関係者の個人的事情にまで落とし込んでしまえば、"一件落着"になるのではないのかな。
それは恐らく、他の人達が咎めを受ける事なく今後を過ごす為に必要という発想なのかもしれないし、誰かが他の人達の罪を背負ってくれればそれで良いという考えなのではないかな。
そしてできるだけ落ち度を一個人に集中させた方が他の人達は安堵できるという事なのかもしれない。
多分そもそもの目標設定が間違っていて、再発予防の観点があまりないのが問題なのではないか。
(再発予防と言わずに)原因究明を目標に掲げていてももっともらしく聞こえるだろうが、実は原因を個人的性質や個人的事情に"無意識的に"求めてしまっているのではないかな等と思ったりした。
極端な事を言うと、"誰かが腹を切って終わりになる"……そういうシナリオを心の何処かで求めてしまっている関係者もいるのではないかなと思いました。
誰も悪くない、皆が犠牲者だったのだから……
「一人が死んで、それで民全体が救われるのであればそれは結構な話ではないか……(超•意訳)」というフレーズを聖書の何処かで見たような気がしますが、自分が参照元のような事を思い付いたのはこのような背景があったからなのかもしれませんね。
誰かを糾弾しておいた後、暫く経ってから
"今明らかになる真実、◯◯事故の真相、誰某と何某の攻防のn日間、本紙記者独占取材!"
という本を出てきて、ジャーナリスト特別賞か何かをゲットするところまでが既定路線だと思っていますし、その本の中では皆が所謂犠牲者だった……というような、お涙頂戴ものの情緒的な結論が下されるのではないかと予想しています。
……自分は悲惨なニュースを観すぎて悲観的になっているのでしょうか?? [参照]