ひと付合いの不幸
嫌々ながらひとと付き合うというのをどこまで許容するか。
正直に言って、そういったものを許容していられるほど自分の人生に余裕はないと感じる。
忍耐強く我慢しつつひと付合いを遂行するのはあまりにも骨が折れる。
そして与える事の美徳よりも身を削られる痛みの方をより強く感じてしまう。
自分自身の幸福を他の誰かが用意してくれる訳ではなさそうだという事が歳を重ねるにつれ、一層強く認識されてくる。
痒いところに手が届かせるのはつまりは自分であって、親しい誰かという訳でもなさそうに思われる。
そう思う時、どうして自分の幸福の追求について不熱心でいられようか?
そしてしぶしぶひとと調子を合わせている時、にこやかな表情の裏では己の人生と生き方における不忠実と背信を自分が行なっているのを認識している。
つまりは不誠実な生き方をしていると自分は罪悪感に苛まれる。