論理について最近考えている事を雑だが備忘的に記しておく。
香西秀信氏の「論より詭弁」と「論理病をなおす」に影響を受けた考えである。
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(1)
論理と非論理の境界は実は曖昧であり、状況や見方によって論理的か非論理的かは変化してしまう。
(1)の補足
科学•数学における論理は芸術•思想における論理と異なっていそう。
中谷宇吉郎氏の「科学の方法」(岩波新書)の最後には、同氏の弟が土器を計測する事によって属する時代を分類できないか試行錯誤していた話が出てくる。
結局それは上手くいかなかったようなのだが、宇吉郎氏は「芸術は芸術の領域から出なければずっと安泰だろう」と書いていたように思う(うろ覚え)。
そこから、2つの領域を支配する論理は異なるのではと思った。
差異自体を問題視しているのではなく、混同して使用してしまう事が問題なのでは。
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(2)
討論におけるいわゆる論理は喧嘩的であり、科学に関する論文は論理的であると思われる。
これは純粋に論理性によって判断される科学論文と比べて、討論では論理性以外の例えば社会的地位•経済力•権威等の差•パフォーマンスetc.が大きな位置を占めてしまいやすいだろうという判断から来ている。
結果的に、討論での論理はあまり論理的ではなさそうである。