フーガの主題(主唱)に対する応答的主題(応唱と呼ぶのだったかな)の変化の仕方(変応,mutation?)について、自分が良く理解できているのか疑わしいと最近思うようになってきた。
平均律を見直して教科書的記述と実践の違いを探してみるのも面白いのかもしれない等と思っている。
平均律は弾きはしたけれども、改めて楽譜を見ながら聴き直すという事をしてみれば新たな発見がまたあるのかもしれない。
バッハのオルガン曲やカンタータ、それに他の作曲家の曲の中に対位法的に関する知識を増す為のきっかけをしばらく探していたのだが、灯台もと暗しというか良く知っているつもりだった楽曲集の中に案外沢山の気付きが眠っていそうな事に気付き……平均律を見直す事を楽しみにしている。
多分平均律は1巻にせよ2巻にせよ、どちらもフーガの仕組みの理解に集中しやすい曲集なのではないかという気がしている。
フーガの技法やクラヴィーア練習曲集第3巻、それにライプツィヒの18のコラール前奏曲、それに教会カンタータなど参考になりそうな曲は沢山あるもののそれらはフーガの仕組み•原理的なもの以外の要素も多く含まれているように思う。
例えば定旋律書法(クラヴィーア練習曲集第3巻とライプツィヒの18のコラール前奏曲)、限られた数の主題に基づいている(フーガの技法)、通奏低音の存在や楽器法(教会カンタータ)など。
この点、平均律には舞曲のリズムの引用という要素が特に第2巻においては更に強く出てきているように自分は感じているのだがそれでも第2巻も、勿論第1巻も改めてフーガとは何かを考えてみる上で基本的な事柄が沢山詰まっているのではないか……と思い始めている。