スポーツ産業と、競技スポーツと、楽しみやヘルスケアとしての運動を出来るだけ別けて考える必要があると思っている。
例えばトランス女性のスポーツ参加で話題に上るのはいつも国際大会やプロの話だけど、米国ではそのような論調を利用して学生スポーツに大きな影響が出ている。子どもたちが学校や地域のクラブで運動を楽しんだり、競技スポーツを通して交流するような道を絶たれている現実がある。
あるいはオリンピックに異常なまでの予算をかけ社会に負担を強いる一方で、障害者などのマイノリティや貧困層が運動をするための障壁は物理的にも社会的にも以前として大きい。
本来、権利として保証されるべきは健康維持や余暇としての運動や競技スポーツで、スポーツ産業はそれこそ"自己責任"でやるべき範疇のものだが、現実の支援策は優先順位が逆転している。
そして競技スポーツ=スポーツ産業の対象となるような階層の競技スポーツだと思い込まされているために議論が不足しているように思う。