だから俺は、例えば内村航平みたいな、「選手は競技することしかできない。何言っても意味はない」などと体操する機械になろうとした態度を軽蔑している。自ら「たかが選手が」のナベツネ精神を体現していく奴隷根性に。
でも同時に、5,6年前稲垣啓太が試合後インタビューで真っ先に当時の台風だったかの豪雨災害の被災者に触れたことを覚えているんだよ。
アスリートには使命があって、いや使命って言葉は字面が嫌いだからダメだわ。じゃあ責任か、責任があるから、でもそれはアスリートだからではなく、公の場に一歩でも踏み出した者の責任なんだけど、配信もそれと同じ行為のはずなんだが、俺はそれができていない。特に今は自分ではいられないことが多い。それはゲームプレイの内容にも出てしまって、ゲーム中に諦めてリロードせずに無抵抗に相手に倒されたことが。あんなダサいマネしてはいけなかった。みっともないプレイだった。話の主旨がズレてるな。ロムルスの感想についてはどうだろう。これは主旨か? まあいいや。ともかく俺の一貫したスタンスのまま鑑賞できたはずたし、言葉ににもできてる方かな。
健康になりたい。メンタルと共に思考や行動がのレベルが、落ちてる気がして自分に自信が持てねえ。