朴沙羅『ヘルシンキ 生活の練習はつづく』(筑摩書房)
仕事や育児、社会との関わりを通してフィンランド社会や日本社会を観察するエッセイの第2巻。
下記は、著者が健康診断の問診で経験したパートです。だらだらネットやゲームをした日に自己嫌悪がすごいことを相談したら……。
“すると、看護師さんは怪訝な顔をして「七〇パーセント以上頑張ったら、およそあらゆる仕事の人が、四〇代のうちに肉体的にか精神的にかわかりませんが、燃え尽きます。だから七〇パーセントでもやりすぎなくらいです。六〇パーセントに減らしてください」と言った。
お前は何を言っているんだ。”
(中略)
“「そうじゃなくて、仕事も家事も六〇パーセント以下にしてくださいってことです。 やらなくちゃいけないことにがんばる時間を減らして、一日八時間労働だったらそのうち四割――つまり三時間ちょっと、ぼんやりしてください。同僚とお茶するとか、窓の外を見て「鳥がいるなー」とか! 健康のために何もしないで」
と叱られた。 ほんまかいな。意味がわからない。労働時間のうち四割はぼーっとするなんて、できるんだろうか。そんなことしたら仕事も何も回らなくない? いや、意外と回るのかもしれない。回ったら怖いな……。っていうか、鳥? ”P.45-46
2巻では移民女性向けのフィンランド語講座に行ったら、「なぜ政治や社会への要望を、あなたが表明しなければならないか」というプリントが配られた話が印象的です。
投票、立候補、デモといった手法と「団体に入ろう、なければ作ろう」と呼びかけが書かれている。
「特定の人々は過小にしか代表されていません」「あなたが要望を表現しなければ、政策決定者たちはあなたの要望を知ることができません」(p.254)
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