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「書けること/読めること」の特権性って、「書ける/読める」集団の中にいると見えないわけで、その集団の「外」というか、周辺を認識していないんだろうなあというのを強く感じることは多い。
「これくらい読めるでしょう/書けるでしょう」の水準が大卒レベルであることとかは、実際、文字(活字)化されたコミュニケーションや発言がメインのSNSだと強く実感するし、そこに「通用する言葉」というのが、語彙力と理解力を要求してくるので…。
それらを扱わざるを得なかったひとたち、その水準に合わせなければ「聞く耳すら持ってもらえない」人たちのことを考える。
私は結構「文学の形にすればとどく」というのも傲慢だと思うし、ギリギリの場所にいる存在がわざわざ文学の形にしなければならないということを、ちゃんと考えないといけないなあと思う。ギリギリの場にいて「文学の形」でなくても、何らかの洗練の形に整えねばならないこと、整えなければ、支援や気づきに辿りつけないことなど…

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