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『君と宇宙を歩くために』という漫画が私の周囲では最近話題だけど、あの物語に描かれている登場人物たちのような「隣人」へ、要領のいい・社会の定型に適合できているひとたちはどんな対応をしているか?というのをずっと考えているし、リベラルな人たちでも資本主義が絡んでくる「職場」での「仕事のできなさ」には冷たく、「自業自得」と切り捨てる。その部分について指摘をすれば、支援している(と思っているひとたちの)「優しさ」の有限さ(余裕のなさ)の話にすり替えられてしまうんだけど、これってシステムの問題であって、個人の許容量の話ではないんだよな…。
いま、この仕事をしながらだと考えることが多い。システムと環境の話を有限な個人の感情にすり替えられてしまう部分をどう言語化し、システムと環境へ視線をシフトさせていくか…という。

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